当メディアを運営するNPO法人ETIC.(エティック)が様々な地方自治体と共創する「ローカルベンチャー協議会」。多様な人が立場を超えて自身の専門性を持ち寄って、新しい事業構想を描いていく、一種の社会実験の場として生まれた。この協議会の中心自治体の一つだった宮崎県日南市。2022年3月末で協議会の幹事自治体からは外れたが、これまでの「ローカルベンチャー的」な取り組みを改めて振り返る。
油津商店街
IT企業を15社誘致し、約170人を雇用、市の平均賃金向上に繋がった商店街再生
宮崎空港から車で約1時間。宮崎県南部に位置する日南市にある油津(あぶらつ)港は、南蛮貿易や琉球との交易の拠点として、江戸時代には飫肥杉の搬出で栄えた。歴史的にも外との交流に寛容なこの地域には、油津商店街という、かつては県南一の賑わいを見せたアーケード街がある。だがここも例外ではなく、人口減少や高齢化、産業の空洞化という地方都市共通の課題を抱え、シャッターが目立つ商店街になっていた。
今もアーケード街を歩くとシャッターを閉めたままの店が目立つ。だが、そんな中に所々洗練されたデザインのオフィスやレストランがポツポツと姿を現す。ユニークなのが、4坪程度のコンテナを組み合わせた油津コンテナガーデン。それぞれのコンテナには、カフェやIT企業のオフィス、無人古本屋などが入っている。
2019年には月額定額制で全国の指定物件に住めるサービスを展開するADDressが初めての自社物件として「Kado」を商店街の一角にオープンさせた。もとは八百屋で20年近く閉まっていた物件を地元の協力を得て生まれ変わらせた。2階はADDress会員が滞在できるスペースで、1階は1960年〜80年代のレコードを集めた昭和の歌謡曲が楽しめるコミュニティスペースとコワーキングスペースになっている。
そのKadoのすぐ近くには、前面が一面ガラス張りの建物。本社が東京・新宿区にあるIT企業、ポートの日南オフィスだ。おしゃれなコワーキングスペースのようなオフィスは元はブティックだったという。ここ日南のサテライトオフィスでは、ウェブ記事の編集や制作を担っている。
この油津商店街は2016年、経済産業省の「はばたく商店街30選」にも選ばれ、地方創生の「お手本」のような存在だと評価されてきた。2013年に当時33歳だった﨑田恭平さんが市長に就任後(2021年4月まで2期8年務めた)、さまざまな政策を実行して、日南市は地方創生の先進事例として注目されたが、その一つがこの商店街の活性化だった。
ポート株式会社のオフィス
その中心になったのは、街づくりコンサルタントの木藤亮太さんと、﨑田前市長が公約の一つに掲げた「マーケティング畑の民間人登用」によって任命された日南市のマーケティング専門官、田鹿倫基さんだ。就任当時田鹿さんは28歳。宮崎大学を卒業後、リクルートなどでネットビジネスを担当していた。
田鹿さんが力を入れたのが、「外貨や外需の獲得」。そのために企業とも積極的にコラボレーションした。LINEと組んでスタンプをつくったり、リクルートのショッピングサイトでは市としては初めて農産品の販売にも挑戦した。そしてこの油津商店街には、2016年から東京などのIT企業を誘致して、地元に若い人たちが働ける場所、働きたいと思う仕事を創出した。
油津商店街内の創客創人センターで話す田鹿倫基さん
「日南市内にも雇用はありましたが、給与面や待遇面で人材が外に流出しがちでした。地元でホワイトカラーの仕事に就きたいという女性や若い世代のニーズは高く、そうした仕事をつくれば地元を出ていかざるを得ない人たちが減り、出ていった人たちも戻って来られるのではないかと思ったんです」
日南市のハローワークの求人倍率は1.4倍程度で推移しているが、主なものは介護など福祉職場。事務系では0.2倍だ。田鹿さんはポートをはじめIT企業を15社誘致し、これまでに約170人の雇用を生み出した。IT企業の賃金水準に地元の企業も合わせて上げるケースも見られ日南市内の平均賃金向上にも繋がった。さらに2016年以降は若年女性の市外への転出超過も明らかに鈍化している。
商店街内の保育施設「油津オアシスこども園」
地方におけるマーケティングとは、「未活用の資源を使って新しい価値を生み出すこと」
田鹿さんは地方におけるマーケティングとは、「未活用の資源を使って新しい価値を生み出すこと」だという。地域資源の活用というと、これまでは地場産品を生かした特産品の開発や、観光資源を生かした観光客誘致が主流だった。田鹿さんのチームもそういった「王道」にも挑戦した。
だが、これまで市内になかったような仕事を作ることは、まさに地元人材という新しい価値の創出でもある。そしてそれがここで働きながら子育てもできるという将来の希望を生み出すこともできる。さらに商店街の空き物件を利用したことで、商店街の活性化にもつながる。これも新しい価値の創造だろう。
ポート株式会 日南オフィス拠点長の東瑶子さん
前出のIT企業、ポートの日南オフィス拠点長を務める東瑶子(ひがし・ようこ)さんによると、1人の求人に対して10人が応募してくることもあるという。
「応募者は女性が多いです。子育ての環境を考えると地元に戻りたい。そして長く働きたいという人が多いんです」(東さん)
東さん自身、日南市の出身だが、一時は東京で働いていた。家族の希望もあって地元に戻ってきた時に直面したのが、仕事だった。図書館の臨時職員としても働いていたが、契約期間が終わるたびに次の仕事を探さなければならない。地元日南には介護職以外の仕事がなかなかなく、宮崎市内も含めて探していた。
市役所には田鹿さんの就任と同時に、マーケティング室が設立され、初代マーケティング室長には産業経済部長などを務めてきた甲斐健一さんが就いた。甲斐さんにとっても自治体のマーケティングとは何か手探りだった。
「最初は『何か物を売っていくのかな』ぐらいのイメージだった。今振り返ってみると、自治体にとってのマーケティングとは、将来自治体を継続させていくための戦術だと思います」
8年前日南市は若い女性の流出が止まらず、「消滅自治体」候補にも名前が挙がっていた。大学入学時に県外に出た若い人たちにどうしたら戻ってきてもらえるのか。そのためにも日南市は挑戦しやすい街、挑戦する人たちを応援する街というイメージを作ることが大事だったという。今では同市の街づくりについて学べる大学生向けの地域留学プログラム「ヤッチャの学校」も開講している。地域や街づくりに興味のある学生だけでなく、今の大学生活や将来の進路に悩んでいる学生も「ここに来れば何かに出合えるかも」と惹きつける。彼らのためにゲストハウスなども用意した。
IT企業の進出は雇用を創出しただけでなく、日南市の賃金など労働環境の底上げにもつながっている。
地元企業の労働環境の改善につながった求人メディア「日南しごと図鑑」
田鹿さんが代表を務める日南市ローカルベンチャー事務局では、日南市の求人情報を発信できる「日南しごと図鑑」も立ち上げている。「しごと図鑑」編集長を務める渡邉茜さんは、こう話す。
「そもそも地元企業の人たちは人が採用できないという課題は抱えていても、自分たちがどんな人材が欲しいのか言語化されておらず、求人にお金をかけるという発想もなかったんです」
日南しごと図鑑のウェブサイト
今「しごと図鑑」のサイトを見ると、誘致されてきたIT企業だけでなく、溶接や配管、建設現場の監督、福祉施設のマネジメント業務、和食の調理師など多様な求人が並んでいる。それも単なる仕事内容と条件面だけを書いたものでなく、それぞれの経営者の思いや職場で働く人たちのストーリーが記されているだけでなく、魅力的な写真も添えられ、ぐっと身近にその職場や仕事を感じることができる。
さらに渡邉さんはこの「しごと図鑑」の効用について話してくれた。誘致してきたIT企業の平均月収は20〜22万円。それまで日南市内には月15万円以上稼げる仕事があまりなかったという。
「地元企業に最低賃金を上げ、休日や福利厚生を整備しないと若い人が採用できないと伝え続け、それが結果的に全体の労働環境の改善につながった部分はあると思います」(渡邉さん)
渡邊茜さん。夫婦でいちご農園を経営しながら、日南しごと図鑑の編集長も務める
油津商店街に拠点を構えるIT企業では、入社式を合同で行うなど連携も生まれている。それぞれの会社が人材の確保と定着という部分では共通の課題も抱えるが、各企業で人事部を抱えるほどの余裕もない。似たような課題を抱えるからこそ、地域が「一つの企業」のような役割を果たし、新入社員の研修などにも取り組む。そうすることで、若い人たちが企業を超えてつながり、そのことがさらに地元への愛着を促す循環にもなると、田鹿さんらはみている。
しかし、こうした田鹿さんらの取り組みは地元で手放しで高く評価されているわけではない。田鹿さんがある地元の高校で授業を受け持った時、「油津商店街が再生したと思う人は?」と聞いたところ、手を挙げた生徒は1人もいなかったという。これには田鹿さんもショックを受けた。
「商店街の再生というと、店が立ち並んで、家族が週末ごと出かけるようなかつての賑わい、元の姿を取り戻すことを期待している人たちにとっては、今の姿では成果が出ていないと見えるでしょう。もしかしたら9割ぐらいの人はそう思っているかもしれません。
今の時代に合わせたテナントを誘致しなければ、結果的にはビジネスや商売もうまく行かず、市の税金を投入し続ける事態にもなりかねない。そうなれば結果的に市民にも迷惑をかけてしまうと思っているのです」
油津商店街の一角で、湯浅豆腐店を営む湯浅俊一さんは、8年前に油津商店街に戻ってきた。実家の豆腐店を継ぐつもりはなく、一時は東京で働いていて、地元に戻ってきたあとも別の場所で豆腐店を営んでいた。なぜ商店街に店を構えようと思ったのか。
「商店街の再生にお金を注ぎ込んで、という人もいるけど、私は傍観者として批判するだけでなく、自分も参加してみようと思ったんです。かつての賑わいは戻らないかもしれないけど、このまま諦めるのも嫌だった。本気の店がいくつか出てきて、点と点がつながっていけばと期待しています」
いまや湯浅豆腐店は、名物の豆腐料理や麻婆豆腐を目当てに県外からも客が立ち寄る店になっている。
湯浅豆腐店を営む湯浅俊一さんご夫妻
田鹿さんが常に考えていたのは、持続可能、存続し得る自治体のためには何が必要なのかということだった。単に人口減少に歯止めをかけるだけでなく、年齢による人口構成をバランスさせること。そのためにはやはり若い世代や子育て世代が、この街で働き、住み続け、子育てをしたいと思ってくれるような街にしなければならないということだった。
だが、そうした将来図も含めて、「地方創生」といった時に、その地域の住民がイメージするものはバラバラなどだという。
「新幹線や工場、大きな商業施設の誘致を思い浮かべる人もまだ多いです。成功モデルがアップデートされていなければ、私たちがやった『地方創生』は決して成功しているとは思われないでしょう。とはいえ地域には多様な意見や考えの人がいて、それぞれの立場や思惑も違う。そうした地域の人たちとの気持ちのズレは無視できません。私たちが目指す姿やその意図を伝えつつ、『昔の賑わい』を求める人たちにも寄り添っていく。これは私が月に1度アドバイザーとして来るような形でなく、8年間、実際ここに住んで働いてたからこそできたことだと思っています」
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後編はこちら
>> 大切なのは『秩序と調和を乱す』こと〜地方創生の「お手本」・日南市の8年
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