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野性的に、わがままに。「いま、これが好き」が真実。「かぐれ」ブランドプランナー・渡辺敦子さん(前編)

2016.06.23 2,759view 

いま、女性にとっての「働くこと」が、わたしたちの祖母・母親たちの時代よりはるかに自由な可能性に満ちてきています。けれども、その多様なあり方のなかに手強いテーマが待ち受けていることは変わっていないのかもしれません。 愛する人と家庭をつくる。子どもを産んで、母親になる。家族の転機で、慣れない場所に移り住む。そんなときに、鼻歌交じりに新しい環境へジャンプできる人もいれば、とまどって苦しんでしまう人もいるでしょう。

この「彼女の仕事のつくり方」シリーズでは、そんなライフスタイルの変化に女性が自分を合わせるのでも流されるのでもなく、自分が心地よい・楽しいと思う働く状況を「つくる」ことができるのではないかという思いから生まれてきました。自分らしい生き方をつくっている女性たちの世界観に触れることが、みなさんの自分らしい生き方をつくるヒントになれば嬉しいです。

第1回目は、表参道の裏路地にひっそりと佇む、天然素材と手仕事の店「かぐれ」ブランドプランナーをされていた渡辺敦子さんです。「かぐれ」が提案するオルタナティヴな暮らしは、たくさんの女性たちに自然体で自分らしい生き方のヒントを伝えています。そんな「かぐれ」を生み出し、2015年までブランドを成長させてきた渡辺さんご自身は、いったいどのような人生を歩んできたのでしょうか。東京表参道で働く「かぐれ」時代の渡辺さんから、現在遠野に移住されて一児の母として新しいプロジェクト「Next Commons Lab」をはじめるに至るまで、一人の女性の変化の道筋を追いました。

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「いま、これが好き」って感覚を見逃さない。 それが真実だと思うから。

桐田: 忙しく働く女性たちの、頑張りすぎて不具合を起こした身体やこころをほぐしていくのが、「かぐれ」が提案するライフスタイルだと思っています。わたしも「かぐれ」と出会ってから、仕事そのものにばかり意識をおいていた自分が、どんどん自分の身体やこころにも意識をおくようになりました。そうすると、ほんとうに働くことがより一層自然に楽しくなっていくんですよね。私はまだまだ修行が足りないのですが(笑)、良い意味で自分の欲求をベースに行動を選んでいけるようになるので。働くが、生きることに近づいていく感覚です。これは決して、単純な「働きすぎをスローペースに」といった話ではなくて、むしろ自分の生きること、働くことを加速させる体験で。

きっと、「かぐれ」を通してわたしのような体験をした女性はたくさんいらっしゃると思います。今日は、そんなたくさんの女性(男性も!)を幸せにしている渡辺さんの秘密を、貪欲に探らせていただきたいと思います!

まず、小さいころのお話を聞かせていただけますか?

渡辺: ありがとうございます(笑)。私は小さいころから、「世の中の基準は気にしなくていい」という感じで育てられたんですよ。田舎の普通の家庭なんですけどね。

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桐田: どちらのご出身ですか?

渡辺: 茨城県です。父は普通の田舎のサラリーマンで、母は主婦でした。でも、父は研究者のような人で、母も気ままなところがあったりと、あまり世間のことを気にしていない両親だったんですね。「勉強しろ」とか言われたことも一度もなくって、好きなことをしたらいいという家庭で育てられました。そうすると、自分の好きな方に行くようになるんです。私の姉は、小さなころから友だちと野球をしたり、外で遊ぶのが好きだったんですけど、私はずっとインドア派で。ひとりで本を読んで絵を描いて、姉に誘われても、行きたくなければ行かないし、よくも悪くもわがままでしたね(笑)。

今振り返れば、それがとても助かりましたし、よかったんだと思います。そうじゃないと、自分の基準がどこにあるか分からなくなってしまうので。

桐田: なるほど。そのころは、どんなことに興味を持っていましたか?

渡辺: とにかく外の世界を知りたい、このままずっとは田舎にいたくないと思っていたので、図書館で色んな本を読んでいました。中学生のころは、難民と貧困の問題とか、アフリカの女性差別問題に関心があったんです。

アフリカの紛争問題、NYのファッションシーン。同じ感覚で夢中になった高校時代

桐田: 高校生のときはどうでしたか?

渡辺: 制服がない自由な学校に通っていました。当時から洋服がとても好きで、ファッション誌でミラノコレクションとか、ハイファッションの世界をみて、週末は東京に通って洋服をたくさん買って、今よりおしゃれだったかもしれないくらいおしゃれをしていました(笑)。世の中の状況に関心があったから、アフリカの紛争問題を知りたいっていうのと同じレベルで、ニューヨークのファッションシーンが知りたいと思っていて。

進路については、当時、明石康さんが国連事務総長になったり、国連難民高等弁務官に緒方貞子さんがいらっしゃったりと、尊敬する方たちがいたということもあって、国際関係の分野で働こうと決めていました。途上国に行ってみたいなって思っていたんです。

桐田: 大学へは、そういうことを思い描かれて?

渡辺: そうですね。高校生のころは「何とかしないといけない」って世界平和に燃えていたので、日本に平和学の概念を導入された高柳先男さんという方を知って、その方の研究室をピンポイントで受験することにしました。

桐田: わあ、さすがです。高校生のころに研究室を決めて受験する方って、なかなかいらっしゃらないですよね。

渡辺: そうですよね(笑)。たぶん、のめり込みやすい性格なんだと思います。思い込みとか、熱量で一気にパーッと動いちゃう。そのときも、紛争を人道的に解決する平和学という学問を日本に持ってきた方がいると知った瞬間に、「それだ!」と思って動いた感じでしたから。

桐田: 「これでいいのかな?」という迷いは生まれなかったのですか?

渡辺: 迷わないですね。これは性質かもしれないです。

桐田: 最初にお話してくださった、自分の好きなものを素直に選んでいい環境だったことが背景にあるのかもしれませんよね。

渡辺: それはあると思います、本当に。自分が“好き”とか“いいと思う”ってことが、絶対だと思っていたから。自分の好き嫌いって、根拠はいらないじゃないですか。「今、これが好き」という感覚。後で振り返ってみたら、もうそれは好きじゃないこともよくあるんですけど、「今こう思う」というのは絶対だと思っています。その感覚を信用していますし、それを見逃さないようにしています。

桐田: ほ〜! その考え方をしていたら、未来のことを考えすぎて不安になるなんてことはなさそうですね(笑)。

渡辺: うん、ないない(笑)。信じられるのは、自分が“今こう思う”ということだけだと思っているので。毎日はその積み重ねだという気がしています。

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紛争への「なぜ?」を解くカギが日本人の宗教観・自然観・芸術観だった

桐田: 大学の研究室では、紛争のケーススタディ(事例研究)を学ばれていたのですよね?

渡辺: そうなんです。そこで感じたのは、国家間の紛争って、結局は自分がどこに帰属するのかというアイデンティティの問題なんだなということでした。それが、民族や宗教だったりするんですね。でも、私は何不自由なく日本で育ってきたから、自分が守るべきもののために命を犠牲にするとか、戦うとか、分からなくて。「アイデンティティの問題って何だろう?」「なぜ日本人には、日本人という意識がないのか」、そのことがどんどん気になってきてしまって。

桐田: 大学院では日本美術を学ばれていたとうかがっていたのですが、そのことが理由で方向転換されたのですか?

渡辺: 大学院に進学するタイミングで高柳先生が亡くなられてしまったんです。それで、大学院では大学4年のころから研究していた日本の歴史・思想史について学ぶことにしました。研究から少しずつ分かってきたのですが、やっぱり日本人はもともと国家意識がなくて、その意識が生まれるのは明治維新で世界と対峙してからだったようなんですね。それまでは、藩や村意識みたいなものしか存在していなくって。それはなぜなのか理由を調べていくと、そこには宗教観があったんです。日本人が昔から持っていた宗教観から見える世界は、「一人の神さまによって世界が成り立っている」というものではなく、「自然がいっぱいあって、自然が神さまで、その中で生かされている」というものでした。それって素晴らしい思想だよなぁって、改めて思って。そして、それが体現されてると感じたのが、美術の世界で、歌の世界で、伝統芸能の世界でした。そう考えたら、「私はこっちじゃないか」と。日本の自然観や、芸術観をもっと知っていきたいと思うようになっていったんです。

桐田: それは、今の「かぐれ」にとてもつながっているように感じます。

渡辺: 本当に。そのときから、「海外に輸出されている陶芸作品は何か」とか、論文に書いていたくらいですから。

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研究をこえて、知識やアートで人を動かすアプローチを知った衝撃

渡辺: 研究者として生きていきたいと思っていたのですが、大学時代にインターンで働いていた会社の影響もとても大きくあります。インターン事業をしているNPO法人ETIC.の紹介で出会ったのですが、参道にある、アートとIT技術と社会意識をミックスしたような会社で、例えばパラオの島々を遠隔医療のシステムで結ぶ試みをしたり、技術と感性を落とし込んだTV番組を制作したりしていたんですね。彼らは、「社会をよくしたい、技術を役に立てたい、そしてそれをかっこよくやりたい」という想いを全部かたちにできていて、実際に人々の生活まで変えていた。そうした知識やアートで人を動かすアプローチを知ったときに、ただ研究するということの次のかたちをみた気がしたんです。

桐田: 研究の向こうに、それをかたちにする人たちを知ったんですね。

渡辺: そうそう。表参道の一室で生まれたことが、200の島を結んでパラオの人たちの暮らしを変えることになるんですよ。そういう影響を生み出すのはすごいことだと思ったし、やっぱり“表現”は大事だなと改めて思って。そこで、大学院を辞めて、芸術表現を学びに大学に入り直しました。

桐田: そうでした、渡辺さんが大学でされていた“表現”は、日本画だったのでしょうか? 陶芸でしたか?

渡辺: 日本画と陶芸どっちもやっていました。当時通っていた筑波大学が、とても自由な環境だったんです。24時間大学にいることができたので、昼間は日本画のアトリエで授業に出て、日本の思想や美術史も勉強しながら、夜は陶芸する生活を送っていました。大学にある資源をフルに使おうって思っていたので。

桐田: 「かぐれ」のお仕事で、地方の作家さんの作品を預かることも多いですよね。大学でのご経験が活かされるときはありますか?

渡辺: すごくありますよ。実際に製作過程をわかっていることは、作家の努力や苦労も理解できますし、つくば市って、益子や笠間に行きやすい立地なんです。益子に道具や土を買いに行くと、陶芸家もいるし展示もやっているので、通って現場の人と出会う体験はそこで結構できたなあと思っています。

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中編へつづきます>>野性的に、わがままに。「いま、これが好き」が真実。「かぐれ」ブランドプランナー・渡辺敦子さん (中編)

この記事を書いたユーザー

DRIVE編集部・桐田理恵

DRIVE編集部・桐田理恵

NPO法人ETIC. DRIVE編集部。1986年生まれ、茨城県育ち。大学時代は文芸の研究をしつつルワンダ人とのコミュニケーションを楽しみ、2011年より医学書専門出版社にて企画・編集職に就く。精神医学や在宅医療、緩和医療の書籍づくりを経て、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。

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